仕事がないということ

ワタシは、実は今年の3月まで仕事をしていた。

しかしそんなことを全く忘れてしまうこのごろである。

3月に退職してから、かなりお気楽な毎日をおくっているのだ。

大きく違ったことといえば、本拠地である埼玉県吉川市とワタシの実家である長野県長和町を行ったり来たりの2拠点生活を始めたことだ。

どちらに身を置くかはオットとワタシの気分で決める。

5月から11月になろうとしている現在まで、断然長和町に軍配はあがっている。

田舎の空気感はお気楽でいるのにぴったりなのだ。

とはいうものの、春から夏までは我ながらよく働いた。

田舎暮らしはまず、家のかたづけから始まった。

実家の両親は昔えのきをやっていたので、その遺産とでもいうべき巨大なえのき小屋が

母屋の横にでんといすわっている。

そしてその中に見るも恐ろしや、親子3代にわたるわけのわからないようなものが、うじゃうじゃ詰め込んであったのだ。直接、生活に関係するわけじゃないけど思い出すと気になって夜もおちおち眠れない。これに関してはまた機会があれば書きたい。

そしてその片づけにおよそけりをつけ、夏野菜もひと段落、そしてあの

雑草もなりをひそめてしまった今、

まさに時は秋!

紅葉の秋!食欲の秋!芸術の秋!スポーツの秋!

あり余った時間、さていったい何をしようか。

地域のためにひと肌脱ぐ?(ってなにやるの?)ジムで体を動かす?ボランティアをする?習い事を始める?

どれもちょっと気持ちは動く。

だが、 but、しかし、だ。

どれも時間を束縛される。責任も生じるかもしれない。

残りの生涯をかけて(というのは大げさか)やるようなものでもないような気がしてくる。

なにやら時間つぶしのようにも思える。

いや、少なくとも、今の私にはピンとこない。

いろいろ悩んで達した結論は?

こんなに自由な時間があるのに、何かをしようなんて、もったいない!

何にもしないでいられる時は人生の中でもきっとそうはないはずだ。

ごく小さい時を除いて、小学校に入れば勉強しなくちゃいけない、宿題もある。

そして受験もあり、就職して生活しなくちゃならない。

結婚して生活費はあまり心配する必要はなくなったものの、

子育て、仕事、そして親の介護。

それなりにワタシもヒトの道をせっせとたどってきた。

そして、それがほぼすべて終了した今、これをしなくてはならない、というものは

いまの期間(多分限定で)皆無である。なんと幸せな限られた時なのである。

朝起きたいときに起きて、犬のさくらの散歩(これはペットを飼っている以上義務である)

日中は天気がよければ散歩よし、テレビを見るもよし、ビデオを見るもよし、温泉巡りもよし、東京方面にいる友達とズームでチャットするのもよし、近所にいる頼もしい親戚のみずえさんとお茶するのもよし、好きな語学の勉強、松茸狩り、紅葉狩り。

何より自然の中に身をおいているだけで、何をするまでもなく、なんだか満たされている。

夜になると9時すぎには白河夜船の毎日である。

埼玉では夕方から夜にかけての仕事を25年以上やってきたから、

まったく自分でもびっくりである。

これまでは夜のテレビなんて見ないから人の話にもついていけなかったのに。

今では、サンドイッチマンだって、くりいむしちゅーだってしっている(って古いかな?)

そーゆうわけで、

ここしばらくは、身の回りのささいなことを楽しみながら、ちまちまと毎日を生きていくことにしよう。

こんな平穏な時がどうぞ少しでも長く続きますように!

















Sama2 - Dual life

あなたと自然がつながる場所・長野県 長和町での日々のかけら

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